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先日公開したクリエイター募集の記事が僕の予想を遥かに上回る効果をあげてしまい、正直こんな無名のフンコロガシみたいな連中の元へ人なんか集まるわけねーじゃん思いながら執筆したのですが、良い意味で予想を裏切られテンパっている僕でございます。一人くらい誰かメールくれないかなーとか思ってたら公開して一時間もせず怒涛のメールラッシュをお見舞いされ結構マジでびびりました。本当だぜ。

そんなわけで、頂いたメールを拝見させてもらい世の中には色んな人がいるなーと思うと同時、色んな生き方があるなーと大変興味深い思いを抱いたわけであります。ちなみに僕たちほど「こいつらバカだなー」と世間から冷たい目を向けられる人種は多くないと思いますが、本人たちはそんなことこれっぽっちも気にしてません。うるせーよバーカバーカ!くらい堂々と生きています。たまに激おこプンプン丸する時もありますが、そういう時は消しゴムのカスを丸めて投げつけてやれば気分もスッキリするものです。愛用のMONOから僅か数秒で消しくずを生成する能力でギネスを狙えるくらい。すごい摩擦熱で机に火がついたこともあります。要するに、他人にどう言われようとそんなこと知ったこっちゃない。それが僕の人生に対するポリシーなのです。

ですが、今でこそドヤ顔で「海賊王に俺はなる!」とかほざいてる僕も最初からそんなポジティブ人間だったわけではありません。大海原に単身で旅立つまでには、それこそ色んな葛藤がありました。暗黒時代もあります。人生ナイトメアモードで毎日ブツブツと「みんな死ね」とか何とか呪詛のような言葉を綴っていた時期もありました。人を嫌い、社会を憎み、それ以上に自分という人間の無力さとどうしようもない虚無感、孤独感、そういう精神的な負のスパイラルに陥ってなかなか抜け出せなかったのはまだ記憶に新しいです。

じゃあ何がキッカケで僕は変わったのか。それはもちろんシャンクスの袖が、いや腕が食いちぎられるのを目の前で見たからです。覇王色の覇気で海王類を瞬殺する姿に、僕は心を打たれました。そして悪夢から目を覚まします。要するに「この人に追いつきてぇ」という目標を見つけたのです。わけの分からん実を食って全身ゴム人間になっても、人生諦めずに、くじけずに、前を向いて歩いてこれたのはひとえに「目標を見つけたから」なのだと思います。

では、ここでちょっと自分のことを振り返ってみましょう。果たして明確に何か「目標」を持ち日々を生きている人って、どれくらいいるでしょうか。結論から言うと、僕個人の勝手な意見ですが、ほとんどいないと思います。ふざけんなてめぇ!と思った人もいるでしょう。でも僕は撤回しません。昔の時代がどうだったかはまだアラサーでもない僕には分かりませんが、少なくとも今の時代で目的を持ち、目標を掲げて生きてる人なんて一握りだと思うわけです。

 

大学を卒業し、就職し、社会に出てから夢を見つけるのは難しい


僕が今回、この記事の対象を「小学生から大学生まで」に絞った理由がまさにこれです。僕自身は浪人もせずに留年もせずにそこそこ名の知れた大学を卒業しましたが、就職はしませんでした。理由としては、そう。逃げたわけです。社会から。何もやりたいことが見つかってないのに、何をしろってんだ。という大学生にはありがちな矛盾。あんぽんたん。少なくとも僕にとっては、ただ生活するためのお金を稼ぐためだけに働くというのが、どうにも嫌だったわけです。そんな人生、死ぬほど嫌でした。別にお金持ちになりたいと思っていたわけではありません。働きたくなかったわけでもない。僕はとにかく「何の目的も意味も見出せずにただ社会の歯車に取り込まれるのが嫌だった」わけです。

だから就活もせず、何の進路も決まらないまま四月を迎えました。周りからは「お前終わってんな」という冷たい目を向けられ、両親からも「いつまでそんなことやってるつもりだ」と無言の圧力を受け、だから僕は卒業と同時、三月には実家を飛び出し一人暮らしを始めました。学生の頃にも一人暮らしの経験はあったので大した苦はありませんでしたが、ここからが僕にとって最大の葛藤期となります。ただ一つ、自分がいったい人生を通して何をしたいのか。それを追い求めて。

 

正直マジで何も見つからなかったし半端ない孤独感にメンタル崩壊した


僕の中でまず最初の課題が、どうやって目の前の生活費を稼ぐかでした。ただ生活費を稼いで暮らすだけじゃ僕が最も嫌っていたレールに乗ってしまうので、ここでの課題はずばり「やりたいことを探す時間を確保しながら最低限の生活ができる収入を確保すること」でした。要するに芸人を目指してる人とか、音楽でプロになりたい人とか、そういう人たちと同じスタンス。ただ一つ決定的に違うのが、そういう人たちには既に夢があり、僕には夢がなかったということ。夢を探すところから始めなきゃいけませんでした。もしこれを、大学卒業までに探し出していれば、僕の人生はもっと早い段階からアゲポヨだったでしょう。

最低限の生活費を稼ぎ、人生という名のダンジョンを孤独に探索する日々はと言えば、それはもう地獄のような日々でした。肉体的にではなく、精神的にです。金銭的にも追い詰められた極貧生活が続くので、そういう圧迫感でも精神力が削られていきます。ガスを契約するお金がなく冷水で毎日お風呂に入っていました。今となっては最高の笑い話ですが、当時はただただ虚しかった記憶しかありません。それでも、何とかやっていくしかなかったわけです。

生きる目的、つまり夢とかそういう類のものを見つけるのって、そう簡単なことじゃない。僕はまずそれを思い知りました。これまでずっと何かに特別熱中してこなかった僕にとって、興味を持ってそれをやり込む、ということから始めなきゃいけなかった。何かに取り組んでも、すぐに飽きちゃったり、そこまで興味が持てなかったり、そういうことを繰り返してきた人間にとって「のめり込む」という感覚が身体に染み付いていなかったわけです。

おそらくこれが、僕が思う人類最大の不幸だと思います。人間にとって熱中できるものを何も持っていないというのは、自分は何もない人間だということと同義。自分のことを何の価値もないムシケラのようなごみくず人間だと認めたとき、絶望的な感情に飲み込まれました。そうです、死にたくなりました。表向きはそんな素振りを見せたりしませんが、内心では「おれ、何のために生きてんの」と一歩引いた目線から自分のことを見ていたくらいです。

 

とにかく目の前にあるものに片っ端から手を出して取捨選択を繰り返した


生きる希望を持たなかった僕がやったことはただ一つ。目の前のことに集中する、ということ。それが自分のやりたいことであれ、そうじゃなかれ、とりあえずやり込んでみて「違う」と思ったものを片っ端から切り捨てていった。結論から言うと、これが正解だったと個人的には思っています。あれもこれも手を出すのは良くない、二頭を追うものは一頭も得ず、という言葉は確かにその通りだと思います。ですが何もないすっからかんの人間にとっては、手を出さなきゃ始まらないので、とにかくヒットの確率を高めるためにがむしゃらに手を出すしかなかった。

そしてその結果、だんだんと自分の「色」というものが見えてきました。これは説明が難しいですが、色んなことに取り組むことで自分が何が得意で何が苦手で、何が好きで何が嫌いで、何を譲れなくて何が楽しいのか。そういうものが少しずつ見えてくるようになる。自分の性格を客観的に理解していく。自己分析ってのはまさにこういうことだなとしみじみ思いました。

就活に失敗して自殺する人が増えてるこのご時世、自己分析ができていない人は自己アピールができません。当然それでは相手の印象に残らず、落とされる。何社受けようと同じ。自己分析ができるかどうかは、色んな自分を知っているかどうか。その引き出しの数だと僕は思います。だから色んな状況に遭遇し、色んな経験をし、色んな感情を抱いてこなかった人にとって自分のカラーが何色なのかまったく見当もつかないのです。

そもそも自分のことを客観的に見れない時点で、自分が何色なのか外側から確認することができません。だから社会に出る前に、自分がいったい何色なのか見つけておかないと僕みたいに孤独な冷戦を一人で戦い抜かなければいけなくなる。先にも述べたように、これを小学生、中学生、高校生、遅くとも大学生までに見つけていれば、僕はあんなにMPを削られることはなかったでしょう。まぁそのおかげでMPの最大値が成長したわけですが。しんどかったよ、マジで。

 

勉強を頑張って、受験を頑張って、いい大学に入る意味はあるのか


小学生にはちょっとまだ早い話かもしれないけど、中学生や高校生にとってはまさにNowなテーマだと思います。ちょうど今受験シーズンだしね。みなさん追い込み頑張っておられますか。遊んでないで勉強しなさい!そんなお母さんの声が懐かしいです。僕自身、学生の頃は勉強なんてほとんどしませんでした。でも別に嫌いじゃなかった。それに負けず嫌いでもあるというね。テストの点数って明確に数字で表してくれるので、純粋に人より高い点数が欲しいという自己満足のために中間テストとか期末テストとか、もっと言えば受験勉強をやってた記憶があります。勉強が好きだったかどうかじゃなくて、他人と比較された時に上にいたかった。そのために。

で、そんな僕はまぁそこそこ名の知れた二流大学に入り、卒業するわけですが、はっきり言って大卒の特権をまったく活用していません。大学なんか行く意味なかった。強いて言うなら、学歴で人の良し悪しを計る相手に対して見下されないことくらいでしょうか。メリットは。特に女性は結婚相手の学歴を気にする人、未だに多いみたいです。まぁ気持ちは分からなくもないですが、男としての価値を学歴のフィルターを通して見るのは正直いただけない。

というように、僕は学生時代そこそこ勉強して、そこそこの大学を卒業しましたが、この有様です。今の頭で学生に戻れるなら、僕は確実に大学なんか行かなかったでしょう。いい大学に行きたいなんて死んでも思わないだろうな。結果として何の役にも立っていないから。僕にとっては、大卒という証明はせいぜいお飾り程度のものだということです。あくまで僕にとっては、ですが。

 

重要なのは勉強を通して大人が子供たちの何を見ているのかという点


僕は大学なんか卒業する意味なかったと言い切りました。それはつまり、受験する意味なんてなかったということで、受験勉強をする意味がなかったということになる。ここだけ聞くと、じゃあ勉強しなくていいってことか!と喜ぶ人が出てくるかもしれないけど、これにはちょっと罠があるのです。大人は子供の単純な学力を見たいのではなく、勉強という退屈な作業をどれだけ頑張れるかを見ている。これが僕の見解です。というか本来こうあるべきだと思ってます。実際は単なる数字的な尺度としてしか見てない大人も多いけど、本来は数字的な能力よりも別の能力を見るために学生たちは勉強させられるわけです。

これ、実はかなり重要で。僕の個人的なエピソードにも繋がるわけですが、今までにその人がどんな努力をしてきたか、または努力をしてこなかったか、というのは大人になって明確に大きな差を生み出します。努力してこなかった人というのは努力を知らないので、できるだけ楽をしようとする。だから仕事では手を抜くし、そうなると能力も上がらない。当然それでは出世はできないし給料はいつまでも上がらない。だから人生に何の希望も見出せないし、クソみたいな人間になっていく。クソみたいなってのは、それで人格が歪んでいく人が多いって意味なので、それでも頑張って生きている素敵な人ももちろんいるしそこは誤解のないように。

いい大学を出たという特権を生かせるのは、たぶん一流企業に入社したい人だけだと僕は思います。一流企業で働きたければ、ぜひ死に物狂いで勉強を頑張ってください。そこには意味がちゃんとあります。ですが一流企業に強く拘らないのであれば、学力は気休め程度にしかならないでしょう。学力よりは、次頭の良さの方が重宝されます。机上の空論よりも、現場の臨機応変な対応力の方が買われます。思いのほか社会ってのは、そういう場所です。

 

単純な学力よりも人生で役に立つのは自分だけのスキルという付加価値


という感じで、結論に繋がるわけですね。これが今回僕が最も伝えたいメッセージです。勉強だけ頑張れば未来は開ける、というのはもう遠い過去の話。勉強であれ何であれ、何かを頑張るということにはもちろん意味があります。ですが、それじゃああくまで頑張ったということしか残らない。簡単に言うなら重要なのは「君は結局なにができるんだい」という質問に答えられるかどうかです。

それはまた「君はいったいなにが好きで何を目標に生きてるんだい」という質問でもある。僕は大学を卒業してからもこの質問に答えられない日々に苦しみました。それはもう発狂しそうなほどに。だから僕みたいにならないためには、できるだけ早くこの質問に答えられるようになるしかないんです。

そして、それは早ければ早いほどいい。大学生よりは高校生、高校生よりは中学生、中学生よりは小学生と、できるだけ早いうちに自分が熱中できるものを見つけることが人生を後悔しない唯一の手段だと、僕はそう思います。そう考えると時間ってあんまりないんですよね。どんなに悔やんだとしても、僕はもう学生に戻れないし。過ぎ去った時間は、天地がひっくり返っても戻ってこない。僕がそれに気がついたのは、大人になってからでした。

 

夢を見つけて生きる目標ができると貧乏でも人生めっちゃ楽しくなる


今の僕がまさにこれ。正直、普通に正社員でサラリーマンやってるほうが貯金もできるし経済的な安定はあるしで目の前の幸せは大きいかもしれない。でも僕は全然そうなりたいと思わない。貯金はたくさんあるけど何の楽しみもなく生きている人たちを僕は知っているし、逆にまったくお金なくて毎日ひーひー言ってるけど人生めちゃくちゃ楽しんでる人も知ってる。その差はどうして生まれるのか。その逆転はなぜ起きるのか。

どっちが幸せかは人それぞれだと思います。ですが僕の目には、自分の夢や目標に向かって突き進んでいる人たちほど輝いて見えるものはないのです。同時に、自分もそうでありたいと願いました。僕にとっての幸せは、きっとそこにあるんだと。

生きるのは大変、人生は苦しい、ならその中で最大限自分なりに楽しむ工夫をするしかないと思います。そういうことにもっと早く気がついていれば、と大人になるとみんな考えるものです。ただ子供のころって絶対そんなことまで頭が回らない。そもそも、そういうことを言ってくれる大人がいない。そしたら気がつくわけないよね。と普通そうなります。だからせめて何かのきっかけにでもと、ここまで書き終えました。いやー疲れた。吐きそ。おえっ。

僕は現在、自分の夢を追っています。ようやく見つけました。自分の好きなこと。人生かけて追い求めたい目標。追いつきたい人たちも、たくさん見つけました。それが目標になり、そのために生きることが僕の目的になり、そして人生になりました。この先それがどうなるかは分かりません。でも少なくとも今は、それが僕の全てで、そのために毎日を生きています。やりたいことが何も見つけられずに苦しんでいた時期を痛いほど知っているからこそ、僕は今の自分をとても幸せに感じます。ひたすら貧乏が続いたとしても、それでいいんです。そのくらい好きなことを見つけたら、人は他のことなんてどうでもよくなっちゃうんですね。まぁ不思議。

これを読んだところで、たぶん学生だった時の僕は何も感じなかったと思います。アホでしたから。だからせめて一人でも、いや、できるならもっと多くの人に何か響くものがあることを願って。言葉の魔法を信じて筆を下すこととしましょう。ではではみなさん、素敵な人生を駆け抜けてください。