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どうもどうも。先日ヤフオクで本をまとめて買おう的な記事を書いておきながらヤフオクでとんでもない粗悪品つかまされたしらゆきです。郵便物を開けてビックリ。表紙とかあちこちビリビリでした。出品者に問い合わせてもフルシカト。古本屋でも値段つかないレベルのものを人に売りつけるってどうかしてますね。みなさんも気を付けましょう。オークションは完全に自己責任でございます。

最近は時代小説やらSFやらミステリーやら結構幅広く色んな作品を読んでいる僕ですが、気がつけば200冊ほどを超えていたのでちょうどいい機会だし何か思ったこと適当に書いてみようかとか思って今キーボードを叩いてます。タイピング速くなりたいなりたいなぁ。鬼のように。

 

日本語って奥が深い


同じような描写をするにしても表現の仕方が無数にあるので、新しい言葉に出くわす度に「こういう言い方もあるのか!」とテンションが上がります。そもそも僕はまったく読書をしないで育った典型的な現代っ子(悪い意味で)なので、知らない言葉が多すぎでした。

泣きたくなるくらい言葉を知らなくて、漢字なんか読めないやつばっかだし書こうと思っても記憶から吹っ飛んでるしで。いかに普段の生活で何も学んでないかが露呈した次第であります。そんなわけで知らない言葉はその都度メモるように習慣づけました。復習しないと。

 

色んなテーマがあって作者からのメッセージがある


どんな作品にも必ず主題があって、その主題を物語に沿って紐解いていくのがエンターテインメントだと僕は思っているのですが、主題をどう受け止めるかは完全に読者に委ねられるわけです。つまり僕らがどう解釈するかは作者の手を離れた時点でコントロールできなくなる。

その結果として各々がその作品に対して様々なことを思うわけですね。最近読んだSF小説で「人間とは何か」「ロボットとは何か」「二つの間に違いはあるのか」みたいなのが主題だった作品があるんですが、よくあるテーマでも物語の展開次第では受け取り方が変わってきます。

この問いに対する答えが用意されてる作品もあれば、どう解釈するかは読者に委ねられる作品もありますよね。だから僕らは一冊の本を読み終わった後に何とも言えない余韻が心に残る。その答えを自分なりに定義したくてあれこれ考える。むずむずする。これが楽しい。

小説に限らず映画でも漫画でも一つの作品を終えた後には何かしら考えさせられるものがあると思います。鋼の錬金術師なんて、まさに命とは何かを読者に問いかけた超大作です。作者からのメッセージを受け取って僕らが何を思考するか、そこにエンターテインメントの楽しみがあると思います。

 

主人公が次々に襲いかかる困難をどう乗り越えていくか


物語の骨格は基本的にこれで成り立っています。何も問題が起こらない物語なんて何も見せ場がなくて面白くないじゃないですか。だからどんな作品でも何かしらのトラブルやらアクシデントが発生して、これを起として主人公がどうやって最後の結までたどり着くのか。

起承転結がしっかり感じられる作品ほど読んでてどんどんのめり込んでいきました。起承転結が一つの作品の中で何度も連鎖して、それが最終的な結びにつながる様はまさに芸術と言ってよいかと思います。逆に起承転結が読んでて曖昧な作品はかなりしんどかったです。

物語というのは現実社会の厳しさを僕らに教えるためにあるのではなく、それを登場人物たちが乗り越えていく姿を目の当たりにして勇気をもらうためにあるのだと僕は思ってます。だからブラックな内容だけで終わっちゃう作品は読んでてあまり気持ちの良いものではない。

こういう殺伐とした世界の中でも、苦しみを乗り越えて幸せを勝ち取る姿に、たとえそれがフィクションであっても僕らは感情移入してしまう。フィクションだと分かってても、そこにカタルシスを感じてしまう。エンターテインメントはそういうものであるべきだと思います。

 

読書は文字という記号だけで脳が情報を処理する


ぶっちゃけ読書って疲れます。眠くなるし、全然頭に入ってこない時もある。だからあんまり気が進まない理由もよく分かる。でもそれって逆に言うとそれだけ脳を使っているというわけで、読めば読むほど色んな能力が高まっていきます。あと本の数だけ新しい知識になる。

特に、人間の脳はかなり細分化された神経の集合体で成り立っているので、受け取る情報が多ければ多いほど多角的に処理ができる。つまり処理が楽になります。匂いだけで判断する時と、視覚情報が加わる時とでは判断スピードも全然異なってきますよね。

そう考えると、読書ってのは文字という記号だけからそこに書いてある世界の描写や登場人物たちの心情などを理解しなければいけないので、脳の一部分にだけかなりの負担がかかります。それがまさに想像力と呼ばれる力なんじゃないでしょうか。集中的に想像力を鍛えるのが読書というわけです。

マンガはこれに加えて絵が入るので、想像力でいったら読書には劣ります。こっちが必死こいて想像しなくても作者の絵が答えを与えてくれるからです。つまり想像する必要がない。アニメはさらに音とモーションが加わるのでなお一層受動的になる。ただ見てるだけで頭に入ってきます。

そこに想像力がはたらく瞬間は無いように思えるのです。情報が多ければ多いほど僕ら人間は楽をできます。でもそれでは脳の機能を持て余すことと同義なわけで、便利という恩恵がもたらす負の側面なのかなと真面目に考えました。本当に幸せな時代なのかなともね。

 

想像力の低下は自分の頭で考えられる人の減少につながる


図書館にしょっちゅういる僕ですが、周りを見渡してもお年寄りばっかり。たまに小学生とかを見かけるけど読んでるのはマンガ。自習しに来てる学生さんなんかはたまに見かけるけど、本を読みに来ている若者はほとんど見かけません。僕が一番若いんじゃないかな。笑

まったく読書をしてこなかった僕が一番感じたことはまさに、己の無知さです。いかに自分がものを知らないかを痛感しました。それは言葉にしても一般常識にしても雑学にしても何もかもです。知らなすぎる、その一言に尽きます。半年で200冊ほど本を読んで思い知りました。

別に本なんか読まなくても、知識なんか少なくても生きていくことはできます。でも僕はそこに言葉には言い表せない恐怖を感じました。知らないって恐ろしいなと。同時に、知ったらもっと人生楽しくなることが図書館には溢れてるなとも思いました。

もしサンタさんが僕のところにまだやって来てれるなら僕は迷わず図書館を頂きます。図書館をよこせ!ってね。知識に貪欲であることは素晴らしいことだと思うし、実際そういう人たちが世の中を動かしてる。完全に二極化した世界で自分がどっちにいたいか。

今の世の中は便利になりすぎて誘惑で溢れかえってるけど、誘惑に身を任せて年をとるとロクな大人にならないなと自分のケツに鞭を入れる僕でした。でもまぁ、結局は自分が楽しいと思えることに熱中すればいいと思います。どんな些細なことでも熱中することがきっと一番大事なんでしょうね。好きこそものの上手なれ、ってね。